武田信玄公の御生涯に深い敬慕の念を抱いている、管理人・大膳大夫カツヤの徒然なる日記を紹介致します。


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兵庫県・尼崎に逃れてきた武田信玄の孫!

ご無沙汰しております。随分とブログの更新が滞ってしまいました(>_<)

正月早々から「信玄公詣」ということで甲斐へ飛び!また「信玄公の墓前にご挨拶に参らねば…」ということで、高野山に登ったりと…忙しい中でも信玄公を満喫しております♪

私事ですが、管理人・大膳大夫カツヤは兵庫県に在住しています。
実は兵庫県は甲斐武田氏と縁が深い県でもあるのです。今日は仕事で尼崎に出向いていたのですが、この尼崎には武田信玄の孫のものと伝わるお墓が残されています。

仕事のついでに、足を伸ばし、お墓参りをしてきました。
私も甲斐武田源氏の端くれ…少しは縁があると勝手に思っているので(笑)
f0022982_2220558.jpg

写真中央が武田信玄の孫と伝えられる武田勝親の墓碑です。
武田勝親は武田勝頼の三男で、武田家滅亡に際して甲斐を逃れ、この尼崎の地まで落ちて来たそうです。また、勝親は尼崎の領主であった池田信輝に匿われたと伝えられています。

f0022982_2250171.jpgその後の勝親はどうなったのか?諸説があります。
尼崎まで落ち延びて来たものの、残念ながら勝親はその後すぐに夭折してしまったと伝える史料もあれば…

いやいや!亡父・武田勝頼の復讐を果たすため石山本願寺に加担し、その後103歳まで生き延びたという史料まで(笑)けれども、この話を鵜呑みにすると…織田信長と石山本願寺との戦いが終結するのは武田家が滅亡する2年前なので年代が合いませんよね(苦笑)

そして…(ここで、こんな話をすると興醒めですが)武田勝頼の三男に勝親という人物が居たということを裏付ける確実な史料というものは確認されていません。あくまでも「武田勝親の物語」は伝説の域を出ないという意見もあります…では、何故このような伝説が生まれたのか?謎が謎を呼びますよね?

伝説の真偽はさて置き!この尼崎の地に、武田勝頼の血を引くと信じられていた人物が存在していたことは事実です。彼はいったい何者だったのでしょうか?ロマンですよね~☆
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ちなみに、この「武田勝親墓」の墓碑の銘文の撰者は淡州の山縣長周という人物になっています。武田信玄の股肱の臣・山縣昌景に繋がる人物でしょうか?気になります(笑)

あと、尼崎市のお隣、西宮市には武田信玄公の墓と呼ばれている塚があります!
こちらもブログで紹介してゆきますね!!

武田勝親の墓参後、すぐ近くにある「豚々亭」という中華料理屋で昼食!(安くて美味しいです☆)そして映画『オーシャンズ』と『かいじゅうたちのいるところ』を観て帰りました♪

楽しい休日でおじゃりました!

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by takedasikon | 2010-01-31 23:19 | 武田信玄