風林火山紀行 (「信玄公祭り」レポート 其の四 )
2006年 05月 12日
風は爽やかで、空は青く…そして緑が鮮やかに輝いています(´∀`)
今日は久方ぶりに夕方まで時間が空いたので運転免許の更新に行って来ました!ついに僕もゴールド免許です(≧▽≦)
甲信地方で「武田史跡めぐり」をする際に、車はなくてはならない足ですからね♪これからも大切にしなければ…うひひひひ…(`∀´)
さーてと…こんな機会はめったいにないから、出掛けるまでにブログ更新しちゃおう~っと♪(笑) …てな訳で、延び延びになっている「信玄公祭りレポート」の続きです!
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-信玄の居館・躑躅々崎館-
信玄公墓所で信玄公との暫しの語らいを楽しんだ僕は(笑)その足で武田神社へと向かいました。武田神社とは大正8年に創建された神社で、JR甲府駅から北へ2キロほどの距離に鎮座します!そして、武田神社の御祭神は…戦国のスーパーヒーロー!我らが武田信玄公であります(≧▽≦)
この武田神社は、武田信玄公を祀る神社であると同時に武田信虎公、武田信玄公、武田勝頼公の所謂「武田三代」の居館・躑躅々崎館の遺構であるとして国指定史跡となっています。
つまり武田信玄は、この躑躅々崎館(現武田神社敷地)で暮らしていたのです♪
残念ながら当時の建築物は残っていませんが、境内を取り囲む土塁や堀…または土橋などは信玄時代の遺構であり、戦国ロマンを掻き立てるのに十分過ぎるほどです(^-^)【←左の写真は武田神社】
僕のような「信玄公崇拝者」には、たまりません!まさに聖地(爆)
また、本殿や神社の宝物殿の周辺は、連日観光客や参拝者でゴッタ返していますが…西郭跡などに足を運ぶと、「枡型虎口」(戦国期~近世の城郭等に見られる、外敵の進入に備えた出入り口)などの遺構が綺麗に遺されており、今にも背後から鎧武者が現れそうな幻想的な雰囲気が漂っています。
【↑写真は信玄往時の躑躅々崎館を復元した模型】
武田三代の居館・躑躅々崎館は、京都の御所をモデルにして作られた「貴族風」の優雅な館でした。これは武田家が伝統ある守護大名の系譜であったことに起因しています。因みに「躑躅々崎」という名前の由来は、この館の西側にある「竜華の峰」がツツジの花の名所であったことに由来しています。また信玄は、この峰の頂にツツジの花を愛でる為の「遊覧亭」を作ったと伝えられています。花を愛でる為に遊覧亭を作る…なんだかイイ感じですね(笑)
そういえば…小学生の頃には、よく躑躅の蜜を吸って遊んだなぁ~♪もしかしたら、信玄もそんなことをしながら遊ぶこともあったかもしれませんね(爆)
今は観光地として賑わう武田神社…
信玄はこの地で、どのようなことを考え…どのうなことに喜び、どのようなことに涙し、どのようなことで笑っていたのでしょうか?武田信玄のプライベートな一面について、詳細に記録した史料はあまり残っていません。この地を訪れる度に…四百数十年もの昔…この場所で暮らしていた「人間・武田信玄」について想いを馳せずにはいられません…。
…っと、横道にばかり逸れて「お祭りレポート」が全く進展していませんね( ̄□ ̄;)!! ヤバイ…ヤバイ…
「信玄公祭り」の当日!信玄公本隊は、この武田神社を参拝し、お祭りの成功と安全を「戦勝祈願」という形で祈願します♪実はこの「戦勝祈願」…意外と穴場なのです!タレントさん演じる武田信玄公と身近に触れ合える絶好の機会はココしかありませぬ!(笑)
ただし…僕と同様のことを考える観光客が殺到しますので(^-^;)
武田神社周辺は、信玄公を待ち受ける観光客で埋め尽くされます。ギラギラとした目でカメラを掲げ、今か…今か…と信玄公を待ち受ける群集達!躑躅々崎の館は、正に戦場に似た熱気を帯びてくるのでした(爆)
続々と集結する信玄公本隊!しかし…総大将・武田信玄公のお姿はまだ見えません…(笑)
まだか?…信玄公はまだか?(((゜д゜;)))
信玄公崇拝者である管理人としては、こんなところで周囲の観光客に負ける訳にはいきませぬ(自爆)油断無くその機会を窺います…そして、ついにその「瞬間」は到来したのでした!!
大膳大夫カツヤ!推して参るっ!!(←アホ)
-つづく-
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