武田信玄の軍配団扇について
2007年 06月 30日
まるでジェットコースターに乗せられているかのように、目まぐるしく忙しい日々が続いています!今日も用事は盛り沢山なんだけれども、久しぶりに自宅で仕事が出来る日なので更新に踏み切りました!
今日は何について書こうかな…
久しぶりにマニアックな記事を書いてみることにします(^-^)
前回から中途半端なままに更新が滞っている「武田信玄の軍配団扇」について語りまする!(本ブログの記事「送られてきた謎の軍配」を参照ください)
じゃーん!
ふふふふ…なかなかカッコイイでしょ?(自爆)
わたくし、大膳大夫カツヤが所蔵する「武田信玄公コレクション」の中でも特に気に入っている作品の一つが上掲した浮世絵です。
江戸時代に描かれた本作品。「川中島合戦」や「水滸伝」を題材とした浮世絵を数多く手がけた歌川国芳の作品です。諏訪法性の兜を頂き、鎧の上から緋の法衣を纏い、馬上から軍配団扇を振りかざし軍勢を指揮する武田信玄…ロマンですね~(^-^)
信玄が手にする軍配団扇!信玄のトレードマークにもなっている軍配団扇!
この軍配団扇。実は兵を指揮するための指揮具なのです。
団扇の形をしているので、暑さを防ぐ為のものか?…と誤解されることもあるようですが、実際には軍隊を指揮するために作られたものであるそうです。但し、「本来は鎧の中に風を送る為のものが指揮具に発達した」と考える研究家もいらっしゃるようで、本当のところはよくわかりません(汗)
この軍配団扇…実際に兵を指揮するためには物凄く細かい約束事があるみたいで、使い方をマスターするのはかなり難しいのだとか…。そんなややこしい約束事があったら、それを見て指揮に従わなければならない配下はさぞかし大変だったことでしょう(^^;)
…という訳で、時代が下ると軍配団扇の意義は威儀的な装飾品としてみられるようになりました。むしろ軍配団扇を持てる資格としての格付のものとなっていったと考えられています。
またこの軍配団扇が「信玄のトレードマーク」として広く定着したのは、武田信玄と上杉謙信による一騎打ちの伝説が一役かっていることは否めません。
上の写真もわたしのコレクションの一つです(笑)
乱戦の最中…宿敵信玄を討ち果たす為に単騎、武田の本陣に現れた上杉謙信!総大将・武田信玄の姿をみつけると、馬を駆け寄せ馬上から信玄に斬りつけます。それに対して武田信玄は床机から立ち上がると、手にしていた軍配団扇で謙信の太刀を受け止める…
静と動のコントラストが美しい両雄の一騎打ちは戦国時代のハイライトと言えるでしょう。
この伝説から「軍配団扇は敵の矢玉から身を守る為の護身武具であった」とする学者もいますが、実際に戦国期に使用された軍配は、練革や木・竹などで作られた非常に軽量なものが多く、護身武具というよりは、やはり指揮具として使用されていたと見るべきだと思います。
軍陣の奥深く…軍配団扇を手に泰然として動じない名将・武田信玄!その姿は子どもの頃からの僕の憧れの姿でもあります。また智将・信玄には軍配団扇がよく似合うんですよね~♪
信玄は僕にとって永遠のヒーローなのです☆
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