武田信玄公の御生涯に深い敬慕の念を抱いている、管理人・大膳大夫カツヤの徒然なる日記を紹介致します。


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前回からお知らせしていた「信玄公祭り・武田24将騎馬行列」に参加してまいりました。

めちゃくちゃ楽しかったです(笑)

初めての本格的な甲冑(桶側胴などではなくて色々威胴丸)着用!初めての甲冑着用の上での騎乗(←当然ですね:笑)!なにもかもがエキサイティングでした!しかも私の配役は、信玄公の片腕とも称された武田典厩信繁公!武田ファンとして…信玄公の「追っかけ」として、興奮せずにはいられませぬ(自爆)
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↑騎乗した私です。
むむむむ…!!やはり騎乗すると、武田武士の血が騒ぎます(笑)今回私がお世話になったのはミルキー嬢。御年齢は15歳!馬にしてみれば高齢なのだそうです。

ミルキー嬢には丸一日、本当にお世話になりました。私の甲冑は20kgほど…重かったと思います。しかも小走りすると「ガチャガチャ」とうるさかったし(苦笑)背旗は風ではためくし(この旗のはためきをミルキー嬢は怖がっていたそうです:汗)ミルキー殿。本当にありがとう☆

それにしても…画質を落としたら、ただでさえ細い私の眼が更に細くなってるなぁ…(汗)眼じゃなくて…糸ですよ糸!ちなみに私の隣にいらっしゃるのは、かの有名な高坂弾正昌信殿であります!『甲陽軍鑑』の作者だよ~スゲー!!
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そして今回のお祭りで得た最高の宝物!
マニアックな歴史仲間の方々(笑)冗談抜きで…皆様本当に礼儀正しく温かく…そして博学!信玄公のお導きで知遇を得れたことを心より感謝しております。

左より典厩役のワシ!真ん中は横田備中高松殿(小田原より参陣・NSカトー殿)、穴山梅雪殿(私と同じ摂津国からの参陣・セイコ殿)

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そして御大将・武田信玄公と拙者!
ちなみに信玄公とはメル友になりました(笑)

「信玄公!身命を賭して私が御身をお守りいたします!」というシチュエーション(私の妄想)で撮影して頂きました(笑)周囲が散らかっていたり…背後が消火栓でも気にしない!気にしない!

私の妄想の中では…ここは第四次川中島合戦における八幡原・武田本陣なのです(^-^)

「兄上!拙者が出陣して時を稼ぎます!その間になにとぞ勝利の御工夫を!」>「やぁー!やぁー!我こそは武田信玄が弟・武田信繁なりー!討ち取って手柄にせよー」妄想はふくらみ続けるのでした。。。

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by takedasikon | 2009-04-19 01:00 | 武田信玄
前回から独り盛り上がっておりますが(汗)
4月12日に行われる「武田24将騎馬行列」での私の配役が決定しました!

今回、私が頂いた配役は…ななななななんと!

信玄公の弟君である
武田典厩信繁公です!
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写真はKOEIの『信長の野望』シリーズの素材画像から頂いてきました(^^;

武田信繁公は信玄公に最も近い存在として、37年の短い生涯を、一心に甲斐国と信玄公の為に尽くしたもののふです!武田家中においては、その高潔な人柄からすこぶる人望が高く「万事相整いたる真の副将」と評されました。

江戸時代においても「まことの武士」と称され高い人気を集めました。
特に儒学者室鳩巣は信繁公のことを次のように評しています。「兄信玄に仕えて人臣の節を失うことなく、その忠心、誠実は人の心に通じ、加えて武威武略に長じ、知剛知柔、まことの武将とは信繁のごとき人物をいう」

…なんだか恐れ多いです(汗)
私のような「欠陥人間」が高潔な信繁公役を頂けるとは…
嬉しいやら恐れ多いやら…(自爆)

…けれども、これも何かの縁ですよね!あくまでもポジティブに!
人気の高い武将ですから、頑張って信繁公を演じきりたいと思います(笑)
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【信繁公雑話】
写真は、私の信玄公コレクションの一つである『武田・上杉二十四将図』より部分抜粋した画像です。中央の信玄公に寄り添うようにして、向かって右横に座る穏やかな表情の武人が武田信繁公です。

信繁さん(←ここから敬愛の念を込めてさん付けにします:笑)の生き様は、即ち信繁さんの「死に様」に集約されていると思います。

溢れる才能を持ちながら、常に控えめに…そして兄・信玄を支え続けた37年の生涯!
川中島の激戦で窮地に陥った信玄公を救うために身代わりとなり、命を落としました。

信玄公は戦後、信繁さんの遺骸にすがりついて号泣したと伝えられています。
この合戦で、初陣を飾った真田昌幸は信繁さんの奮戦を目の当たりにして感激し、自分の次男に「信繁公にあやかれ」という意味を込めて、「信繁」と命名しました。この真田信繁こそが、後世「幸村」という愛称で愛され続けるもののふ!真田幸村殿なのです!

私も信繁さんのように…愛する者の為に身命を賭す生き方がしたいなぁ~!
…けど難しいなぁ~(苦笑)

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by takedasikon | 2009-04-05 10:41 | 武田信玄
「武田二十四将騎馬行列」への参陣が決まり!徐々にテンションが上がり始めている大膳大夫カツヤです(笑)

少し手続きにミスがありまして、配役通知届けの到着が遅れています。…それだけに当日、どんな配役が当てられるのか…少年のようにドキドキワクワクしています♪ネット等を通じて、配役が決定している方の情報が徐々に私の耳にも入ってきています(情報化社会って凄いですね)。現在私が掴んでいる情報では武田信廉殿。穴山信君殿。秋山信友殿。山県昌景殿。原虎胤殿の配役が決定しているそうです♪

武田信玄公と栄えある武田軍団に深い敬慕の念を抱いている私としては、どのような配役が来ても幸せです。精一杯に当日は演じさせて頂きますね(^-^)

ということで、今日は私、大膳大夫カツヤが所蔵している『武田二十四将図』を御紹介させて頂こうと思います。
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私が最も大切にしているコレクションの一つです。縁があって私の手元に来てくれました♪写真では長すぎるので二分割していますが、実際は一枚ものの掛け軸になっています。結構大きくて全て広げると2mちょっとくらいの長さになります!

武将の鎧に「金泥」が沢山使用されていて全体的に明るい色彩が印象的です。
作者と制作年代ははっきりしていませんが、形式から江戸時代のものであることは確実であると思います。

【武田二十四将とは?】
武田二十四将とは、武田信玄を中心とした武田重臣群の集合写真のようなもの…と、捉えて頂けたら分りやすいですかね?写真上段の中央で、緋の法衣をまとい床机にドッカリと腰を掛け、右手に軍配団扇、頭には白頭の「諏訪法性兜」をいただき、周囲を睥睨しているのが総帥武田信玄公です!

ただ二十四将といっても、その顔ぶれの選定と人数はまちまちなんです(^-^;
まず人数からお話すると。信玄公を含めて24人を選定するもの。また総大将・信玄公をカウントせずに24人を選定するもの。信玄公とその子息・勝頼公をカウントせずに24人を選定するもの…などと、その選定方法は多種多様なのです。

また顔ぶれについても、選定方法はバラバラ!武田氏研究家・野澤公次郎氏は武田二十四将図を「江戸時代における武田武士人気ランキング」と評しておられますが、そのようなものであったと思います(笑)

【なぜ描かれたのか?】
江戸時代になると、戦国の気風や戦国武将の戦法・領国経営法などを学び直そう!という風潮が生まれました。その中で最も秀逸な手本とされたのが武田信玄公の戦法と領国経営でした!そのような中で信玄公の事跡をまとめた『甲陽軍鑑』という書物が大流行し、武士から一般庶民に至るまで多くの人々が武田武士の栄光の伝説に酔いしれることになり人気を博しました。

そんな中で、在りし日の栄光の武田軍を顕彰するために描かれたのが『武田二十四将図』です。製作者や制作依頼者の様々な想いが交錯して、選定方法も顔ぶれもマチマチなのです。だからこそ面白いともいえるのですが…。

管理人・大膳大夫カツヤの家にも(大した家でもないのですが:汗)「家系図」という形で仰々しい記録が残っています(汗)それによると当家も一応は甲斐武田氏の端くれなのだとか…。私の手元に、この二十四将図が巡りめぐってきてくれたのも、何かしらの縁ゆえかもしれません。

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by takedasikon | 2009-04-02 11:09 | 信玄公コレクション