武田信玄公の御生涯に深い敬慕の念を抱いている、管理人・大膳大夫カツヤの徒然なる日記を紹介致します。


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<   2009年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

こんにちは。
最近疲れが取れないな~。と、思っていると案の定、体調を崩してしまいました(汗)

いつになく頭痛が激しく眩暈がするので体温を測ってみると39度4分(驚)しかし、仕事に穴を空けるわにはいかないので、その日は勤務を続行・・・。医者に行くと「こんな状態で仕事をしてたらいけません!」と怒られ点滴を打たれてしまいました。

いまも安静中ですが…丸1日寝て過すのは苦痛です…
なんか人生を無駄にしているような気がする(苦笑)ということで、ブログを更新してみます。

前回は明智光秀殿のお話を書きましたが、下の写真は光秀法要の際に撮ったもので、明智家菩提寺・西教寺に安置されている明智光秀の木像です。
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本徳寺の明智光秀肖像画を元にしたものですが…
眉目秀麗、貴公子然とした容貌からは「教養人・文化人としての光秀はこのような人物だったんだ!」と説得されるような気がします。それと同時に、この表情から、なんとなく悲しみがにじみ出ているような…一種の儚さを感じてしまうのは僕だけでしょうか?

この木像のモデルとなった本徳寺の肖像画は、伝承として明智光秀とされているだけであって、光秀その人の寿像(生前に描かれた像)ではないとされています。けれども先に述べたような、「深い教養や慈愛そして儚さ」というものは、一般の人間が光秀という人物像から受けるイメージそのものではないかと思います。

それらの明智光秀というイメージからは、「謀反人」というヒールの苦味や臭みは不思議なほど感じられません。それどころか、反逆者という汚名を被りながらも何故か「同情」の対象として見られてしまうところに、明智光秀の不思議さや魅力を、僕は感じてしまうのです。
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「反逆者」という汚名を被りながらも、不思議と愛される光秀。
愛されるどころか…福知山や亀山では、江戸時代から今日にかけて明智光秀は信仰の対象にまでなっているのです。これは面白い事例ですよね♪

どうして明智光秀は信仰の対象となっているのか?

私は、明智光秀が主君・信長を討ち取ったことが多くの人々の目に「世直し」として映ったのではないかと考えています。信長が歴史を変革した英雄として捉えられ始めたのは近代に入ってからですよね。江戸時代において、彼と敵対した武田信玄公や上杉謙信公が人として、名君として尊敬され崇拝されたのに対して、信長が顧みられる機会はあまりありませんでした。どちらかと言えば、我侭な暴君として捉えられていた風があります…(笑)

江戸時代でもこんな感じなのですから、信長と同時代を生きる人達にとって、信長の強引な政策は煙たいものだったのではないでしょうか?今風に言うならば、信長行政に対する支持率は低く、世論は彼に冷ややかな視線を向けていたのではないかと思うのです。

信長は時代を大きく変革する際の破壊者としては天才的な才能を持っていたとは思いますが、次の時代を築いていく創造の人ではなかったように私は感じてしまいます。そこが信長の限界であり…光秀ならずとも、信長は誰かに倒される運命を担っていたのかもしれません。

誰かがやらなければならない…「謀反人」というハイリスクを背負いながら、損な役回りを背負ったのが、明智光秀だったのではないでしょうか?そして彼は非業の死を遂げます。

信長という悪夢からの開放。そして、その犠牲となった明智光秀に対して、多くの人々が感謝と同情の念を抱いたのではないか?その心が明智光秀を信仰の対象にしたのではいないかと思うのです。

以上は私の単なる推論でしかありませんが(笑)
光秀法要の際には、本堂に上述した光秀の肖像画(拡大してパネルにしたもの)が掲げられていました。その画像を見ながら、私は上記したようなことを考えていたのです。

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↑西教寺の明智一族の墓

光秀。本当はどんな顔をしていたのでしょうか?
今に伝わる光秀の肖像画が筋骨隆々で粗野な表情であれば(笑)上述したようなイメージは湧かなかったかもしれない。つくづく歴史はイメージの産物だと思います。そこに、歴史の面白さがあり、かつ怖さがあるように思えるのです。


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by takedasikon | 2009-06-28 03:12 | そこはかとなく想う…
先週の6月14日は明智光秀の命日でした。
私にとっての明智光秀のイメージは、小学生の頃に手にした『戦国群雄伝』という児童向けの文学作品によって形作られました。この作品…オムニバス形式で複数の戦国武将が題材に取られています。

確か…武田信玄公、明智光秀殿、伊達政宗殿、北条早雲殿、この4人が主人公となる作品でした。とても古い作品なのですが、戦国武将たちの感情が弾むように描かれていて、何度も何度も繰り返して読んだ記憶があります。

確か…明智光秀の項には「信長の苛めに耐えられなかった心優しき武将の悲劇」という副題がつけられていたと思います。私は信玄公崇拝者ですので(笑)当然、その当時も武田信玄公に夢中だったのですが…2番目に好きな物語が明智光秀の物語でした。

残念ながら、伊達政宗と北条早雲の物語は何度も読んだ筈なのに、その内容は私の脳内のメモリーからイレイズされてしまい、その片鱗も残っていません(印象薄かった…)
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実在の明智光秀はどんな人物だったのか???
6月14日の彼の命日を前にして、私の興味はグングンと湧き上がってきました。幸いにも信玄公祭りで知遇を得たseiko殿が「明智光秀マニア」であったこともあり(笑)近江坂本にある光秀殿の菩提寺・西教寺で行われた明智光秀追善法要に足を運んでみることにしました。

読経と焼香の中、目を瞑り…遠き日の明智光秀殿に想いを馳せる。
明智光秀とはどのどのような人であったのか?また私の脳裏に焼きついた「心優しき悲劇の武将像」は、真に彼の実像なのか?あまりにも、私は光秀殿のことを知らな過ぎる!…そういうことを実感しながら、私は、私なりに光秀さんを偲んでいました。

上の写真は法要に参加した際に頂いたパンフレットの表紙です。

法要の際に「明智光秀公顕彰会」という謎の組織に遭遇(笑)何かよくわからない組織だったが、明智光秀さんを顕彰するという会の趣旨に共鳴して入会してみることにしました。また当ブログでレポします(笑)

昔から知っているようで、実は何も知らなかった光秀さんとの再会が坂本で始まりました。
暫くは光秀さんと付き合ってみるのもいいかもしれない。新たな研究課題の到来です(笑)
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by takedasikon | 2009-06-21 15:57 | そこはかとなく想う…