もののふ達が夢のあと… 【愛され続ける長篠の勇者たち】
2006年 05月 21日
本日、5月21日は…新暦と旧暦の違いはありますが、世に名高い「長篠・設楽々原の合戦」が繰り広げられた日であります…。学校の歴史の時間などでも大々的に取り上げられるこの合戦…。
伝統的な騎馬軍団を主体とする戦国最強・武田軍は、近代的な戦法・鉄砲三段射ちを編み出した織田・徳川の連合軍の前に崩壊した…
などと紹介されますが…
…これは嘘です(笑)
そもそも武田騎馬軍団なんて言うのも後世の空想の産物だし…。(現存する正確な史料で武田の騎馬隊について書かれたものはありません:苦笑)信長が鉄砲三段射ちなんて戦法を実行したというのも…どうやら眉唾な話なのだそうです…。【武田の騎馬隊や長篠・設楽々原の合戦については、機会を改めて詳しくアップしてゆきたいと考えています。…えっ興味ない?(自爆)】
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【↑管理人・大膳大夫カツヤ所蔵:武田二十四将図】
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ともあれ…今日という日が、数多くの武田武士たちの命日となってしまったことには間違いありません!…つらい!武田武士に並々ならぬ愛着を抱く僕にとっては、とても悲しい日であります(T-T)
…ということで、今日は僕のコレクションである歌川芳国作「武田二十四将図」の掛軸を床の間に飾り…戦場に散っていった「もののふ達」の冥福を祈りました。。。
【↑現長篠・設楽々原古戦場 馬防柵が再現(!?)されている】
設楽々原の合戦で一際胸を打つのが…武田軍の老将たちの悲劇的な最期です。
いまは亡き武田信玄が作り上げた栄光の武田軍…その崩壊を目の当たりにした「信玄子飼いの猛将」たちの胸中はいかばかりであったでしょうか…
後世に伝えられた挿話によると…激戦が終わり、武田の本陣から「退却」を告げる法螺貝が鳴りました。これまで不敗を誇っていた武田軍の将兵は初めて耳にする「敗北の音色」を聴いた瞬間に、思わず涙を流した…と、伝えられています。切ない…切なすぎる(T-T)
「泉下の信玄公に顔向けできぬ…」
武田の老臣たちは、武田武士としての誇りを胸に奮戦し…戦場の露と消えてゆきました。ただ!悲劇的な中にあっても奮戦した「武田の老将たち」の戦いぶりは、敵方である織田軍をも感動させたらしく…
特に、最後まで戦場に留まって味方の退却に尽くした馬場美濃守は、織田方の記録『信長公記』の中でも「馬場美濃守の働きは比類なし」と記され、最大の賛辞が送られています。
ここに馬場殿の人気を如実に示すエピソードがあります。
長篠古戦場を訪れたある人物が、農作業に勤しむ地元の農夫に「馬場信房のおくづき(墓)はいずこか?」と訊ねたところ…農夫は返事もせずに黙々と作業を続けている…
再び問うと、農夫はおもむろに「美濃守様のおくづきは何処か?と問えば教えたものを、信房と呼び捨てにしたから答えなかったのだ。」と話した。
改めて「美濃守様のおくづきは何処か?」と問うと、今度は丁寧に教えてくれた…という話です(笑)
悲劇的な最期を遂げた武田武士…しかし、彼らは数百年もの時を越えて…様々な人々の暖かい心に守られながら、今も愛され続けています。。。
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