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武田信玄公の御生涯に深い敬慕の念を抱いている、管理人・大膳大夫カツヤの徒然なる日記を紹介致します。


by takedasikon
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2009年 12月 29日 ( 1 )

こんにちは♪
仕事を収め、ここ数日は家の用事と読書三昧です。久しぶりにゆったりとした時間が流れています。映画を観に劇場へも!『アバター』と『2012』を観てきました☆そして今日は中学の同窓会です。外出までに時間があるので、三方ヶ原合戦レポの続きを…。

―武田軍、織田・徳川領へ進軍!―

武田信玄動く!
元亀3年(1572)のこの頃、このニュースほど日本中を震撼させたニュースはなかったのではないかと思います。信長&家康は恐怖で縮みあがり!逆に信長、家康の圧政に苦しんでいた多くの人々は「信玄出陣」の報に光明の差す思いを抱いたに違いありません!

実際に、この時の武田信玄の進撃は「軍神」の異名にふさわしい緻密で激烈なものでした!

信玄はまず軍勢を三つに分けました。秋山信友率いる別働隊は信長の本拠地・美濃国に侵入!信長の動きを牽制します。同時に、武田家の突撃隊長ともいえる山県昌景ひきいる別働隊は家康の領国東三河に侵入!武田信玄ひきいる本隊と徳川家康の領国を分断する作戦に出たのです。

武田軍の猛攻の前に、徳川方の支城は三日に一城のスピードで次々と陥落!若き徳川家康は苦境に立たされます。。。
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↑管理人所蔵「天竜川難戦図」より、そんな感じで困っている「徳川家康像」です!(笑)

さすがに「ヤバイ」と思った徳川家康!かといって信玄には独力では敵いません。しかし、信玄の快進撃をこのまま黙って見過ごしていると「頼り甲斐のない大将」として家臣たちから見放されてしまいます。

家康は数千の兵を引き連れ、武田軍の動きを偵察するために出陣します。
講談「三方ヶ原軍記」の中で、家康は「領主たるものは民と共に苦しみ、民と共に楽しむ!」と言い放ち、武田軍に侵される領民を守るために出陣したと伝えていますが、内心は信玄への畏怖と、圧倒的な軍事力により武田方へ靡いていく国人の姿に恐怖を覚えての出陣であったと思われます。
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↑管理人所蔵「天竜川難戦図」より、圧倒的な武田軍への恐怖で凍りつく徳川兵

この頃の、家康の心境を考えると胸が苦しくなります。まさに追い詰められた日々。そのストレスは筆舌しがたいものだったでしょう。ただ、この時の辛苦が後の天下人・徳川家康を作り上げていきます。

武田軍の偵察に出た徳川家康!しかし、その動きは軍神とも称される武田信玄の諜報網に捕らえられていました。やがて徳川軍は、武田軍に捕捉されてしまいます。ここに一言坂の激闘が幕を開けるのでした…

つづく!

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by takedasikon | 2009-12-29 15:58 | 武田信玄